圧倒的な、はな(華)

お題「うちの草花自慢」

 

購入当初の元気な様子。

ポインセチアさん。

真っ赤な葉色にひとめぼれして購入。

毎年冬になると、花屋さんでは前面に押し出されているので、目を奪われることがしばしばあった。

 

ショッピングモールの花屋さんで、机の上に小さなポインセチアが並んでいる中、ひときわ目立つ、地面に置かれた鉢植えがあった。身長が高い。

 

きれい。

 

あざやかな赤色。圧倒的な、はな(華)がある。

持って帰りたい、素直にそう思った。

 

先月中頃に購入したので、約1ヶ月が経ったかな。

 

徐々に葉先が黒ずんできたり、葉が落ちたりしているので、少し心配。

乾燥した気候で生息するとのことで、水やりのタイミングや、置いておく部屋の室温など、試行錯誤しつつやっている。ただ水をあげればいい、っていう話じゃないから難しい。

まだつかめているとは言えないけど、ひとまず水やりは1週間に1回、置き場はリビングの窓際にしている。

1回あたりの水量は、多めである。鉢植えから水が出るくらい、と見たのでその通りやっているが、今のポインセチアさんの状況を見ると、あげすぎなのか?という思いもある。

(ぜひご意見ください。)

 

あと、ポインセチアの葉を赤色にするには、秋頃から日照時間の管理をしないといけないんだそう。「毎日欠かさず!」という厳しい管理のだと聞いた。調べる限り大変そうだけど、できるかな。

 

でも、来年もこの子をみたい。

 

 

 

 

スプーンは、とまらなかった。

お題「旅行先で食べた美味しかったお店や料理は?」

 

明太いくら玉子焼丼 

お味噌汁、お漬け物、煮物つき。

福岡へ一人旅したときのこと。

モノを知らなさすぎるわたしも、福岡が美味しいグルメで溢れていることは知っており、食べまくろうと意気込んでいた。

明太子、博多ラーメン、水炊きはマストだと思い、行く前からリサーチを進めていた。

 

1泊2日の旅であったが、そのなかでも脳髄もってかれたのが、明太いくら玉子焼丼である。

2日目のお昼に「博多シーフード うお田」さんにお邪魔した。

 

ぴかぴかのいくら。トップには圧倒的存在感の明太子。そしてそれを支えるだし巻き玉子。

かけだれはないようで、いつもお寿司を醤油でビシャビシャにする私は戸惑ったが、すぐにその理由が分かった。

 

\いただきまーす/

 

うう、、、なんてこと。。。

魚卵と魚卵の共鳴。まずここに幸(さち)が生まれる。

ぴちぴちとしたいくらの味わいと、明太子の旨みが合わさって、口の中はお祭り騒ぎ。

この共鳴は、少なくとも自分は初めてだった。

そしてそこに、スプーンで一口の大きさに切り取った、だし巻き玉子をかきこむ。

 

むふう、、、

味を渇望していた口内の細胞が喜んでいた。

このおだしの味、魚卵に合いすぎやしないか?と。

そしてこのおだしの味があれば、たれをかける必要はないのだな、と気づいた。

すかさず私は、白飯もほおばった。

 

ああ、幸、、なんて幸なのか、、、。

たんぱく質のトリプルコンボに、それらのバランスをとるかのように現れた白飯。

いくら、明太子、だし巻き玉子、白飯。すべてがすべてを引き立たせ、互いに邪魔をすることなく、それぞれの最大限をだしてくれていた。

 

スプーンは、とまらなかった。

 

 

何が恐怖なのか。

お題「わたしは○○恐怖症」

 

嘔吐恐怖症

共感してもらえる人がどれだけいるのか、わからないけど文字に起こしてみる。

発症のきっかけが起こった当時のことを思い出そうとしても、恐怖の理由ってなかなかわからない。ただ、嘔吐体験をして、その嘔吐体験とその後の記憶から「こわい」と結びつけてしまうのかなあ。

 

小学3年生の5月ごろ、いつもどおり夜ご飯を食べたら、おなかに食べ物がある感覚が強くあった。いつもと少し違うと思い、母にそのことを話してみた。だが、母は特別気にとめることなかったため、自分の中でもさほど気にせずその日は床についた。21時前だったと思う。

 

その後、22時半頃に目が覚めた。胸元あたりに気持ち悪さを感じつつも、なんとなくトイレに行きたい気がして、用を足す(お小水)。

そのときだった。

 

ゲポッッ。

なまあたたかく、液体のようなものが口の中に侵入してきた。

なんだこれは…?

(幼稚園生のときも嘔吐経験はしているので、逆流してきたんだと理解はしていた。ただ、ものがわかるようになってきた年齢であるがゆえの新鮮さだったんだと思う。)

おどろき、母のいるリビングまで駆けおりる。母は寝ていた。たたき起こす。

 

ゲボが口の中にあることを伝えると、洗面台に吐き出すよう言われる。

ひとくち分のおゲボさんだった。

(今考えると、トイレの方がよかったのでは?と思う。吐き出したものを、母が固形物は割り箸で拾い上げていた記憶がある。母は偉大すぎる。)

 

その後、落ち着いたのも束の間、おなかの中から勢いを感じる。

(ゴォォオオオ……グルングルン…………)

第二波がおそってきた。母に伝えると、あわててゴミ袋を持ってきてくれた。わたしの前で持っていてくれたため、わたしはおなかからくる莫大なエネルギーを、小さなくちから何度も放出した。

吐いているときは、なにがなんだかよくわからなかった。ただ、熱くて強烈なにおいのある液体が体からどれだけでも上がってくるので、吐き出すしかなかった。

 

そんなこんなで、その夜は終わり、翌日は学校を休んだ。

 

 

数日がたち、元気になった私は学校に行き始めた。

(ここからは、曖昧に曖昧を重ねている。ゆめなのかうつつなのか、自分の中でつくっている部分はないのか、ずっと自問自答しながら書いてる。)

 

学校から帰ってきて、一人でお留守番をしていた。その後、リビングにいた私はうたた寝をはじめるが、目が覚めると猛烈な不安に襲われていた。じきに私はえんえんと泣きはじめた。

 

このときは、当時はまっていたアニメの怖いシーン(とあるキャラクター)をリアルに思い浮かべて、なおその怖いものが部屋の隅にあると思いこんで、それにひたすらおびえて、泣いていた気がする。その怖いもの、に嘔吐も関係していた気が。

母親と連絡を取りたいが、自宅の電話が上手く使えず、自宅近くの公衆電話まで行ったりした。

 

お留守番をはじめたくらいだったので、ただ一人で寂しかったのか、もしくは数日前の嘔吐が自分の中で強烈な体験だったのか、なぜそんなにもおびえていたのかは、わからない。

 

これ以降、今に至るまで、一度も嘔吐はしていない。できない。

 

 

お手ふり。されど、お手ふり。

お題「やっぱりプロはすごいなと思ったファンサは?」

2年前くらい前に、SixTONESのライブに1人参戦したときのこと。

ちなみに私は、松村北斗くんの顔を眺めることを生きがいとしている、ホクトホリックの1人。(本当に顔がすきすぎて、魅力をあげはじめたら長くなるので、また後日。)

 

推しはじめて1年くらいたった頃、ライブが開催されるとのことで、Feel da CITYの名古屋公演に申し込んだ。

みごと、制作開放席にて当選。

 

当日はるんるんで、おしゃれして参加した。メンカラは黒なので、グレンチェックのブラウスに黒のジャンパースカート(←言い方古い?)、黒のカチューシャまでつけて挑んだ。

正直、席については期待をしていなかった。制作開放席だし見にくいだろうなあ、と。

 

近い……

それが席について一番におもったこと。メインステージからみて、左手直近のエリア。ブロック自体は前方ではなく真ん中くらいだと思うんだけど、肉眼でも彼らを追えるくらいには近かったかな。(←人による)

あとでわかったことだけど、私のブロックは、後ろのブロックとの間にスタトロ(スタンドを回るトロッコ)が通るような位置にあり、かつ左側の通路がメンバーの通り道になっていた。その中でも私の席は最後列の通路側だった。

幸運は、この席にあった。

 

ライブの中盤くらいかな。スタトロに乗るために、メンバー6人のうちの3人がステージを降りてスタンドの階段を登ってきた。気づけば自席の左の通路にじゅったん、こちくん、きょもがお通りになっている状況。北斗くんは反対側からで残念がってたけど、正直これだけでもブチ上がった。

北斗くんが反対側から乗トロッコ(←乗車のトロッコバージョン)しているのを、双眼鏡で眺めながらふと気づいた。

これって、戻ってきた北斗くんと、meetできるのでは?

(補足:スタンドトロッコはメインステージの両サイドを開始・終了地点とし、3人ずつに分かれ、スタンドを一周する。)

 

そう思い、私はトロッコに揺られながら近づいてくる北斗くんを凝視した。とまらなかった。「目に焼き付ける」ってこういうときのために使う言葉なんだろうなと思う。

と、トロッコから降りて歩いてきた北斗くんをガッチリとらえて、興奮さながらに手をブンブン振っていると、

 

手エふりかえしてる……

北斗くんは、歩きながら(私に向かって)手をふりかえしてくれた。皇族のようなお上品なお手ふりではなく、ワンちゃんをわしゃわしゃするような手のふり方(←伝わる?)。体感だと3秒くらいかなあ。いやあ、思い出すだけでジンジンする。しびれる。

その後の数分は「え?いまのって、私に?いや待て待て。え?」とうわの空だったが、ライブ後に斜め前に座っていた女性から「おめでとうございます」と言われ、無事まいあがった。

 

北斗くんのファンサは、自分のファンとわかる子に対して、なおかつお手ふりが多いと聞いたことがあった。それだからこそお手ふりをもらえたことが、とんでもなく嬉しかった。

(私の参戦スタイルは、基本左手に顔写真のうちわ、右手にペンライトなので、うちわでファンだとわかってもらえたのかな?と勝手に思っている。)

かわいいなあ

動物、といってもいぬねこちゃんなんだけど

最近、このこたちの癒やしの力は凄まじいことを知った。

 

自分がかわいいことを知っている。どれだけでも甘えられる。

生まれてこの方、生き物といえば金魚しか飼ったことはなかった私は、齢25にして、このこたちの魅力の虜となっていた。

思い返してみれば、学生の頃は通学路にいるねこちゃんに触る勇気もなかったし、散歩中のいぬちゃんを見つけては避けて通っていたんだけどね。

 

メンタルダウンしてから、幸福ホルモン不足?からなのかなんなのか分からないけど、そういう動物にすんごく癒やされるなあと感じている。

知り合いの飼いいぬちゃんとお会いして、そのかわいさに圧倒された。お家にお邪魔してから数分は吠えまくられたんだけど、徐々に落ち着いていって、その後はずーっとおひざの上にいてくれた。

いぬちゃんに会う前はちょっと怖いなあって思ってたけど、自分の感情がいぬちゃんにも伝わるっていうことを聞いて、「かわいがりに来ました!」っていう気持ちを意識していたら、なついてくれた(たぶん)。

 

いやあ、飼いたいですね。あの子たちがお家にいてくれたらなあ。

ちっこいメスの子希望。

 

 

 

 

じぶんがみている世界しかわからない

 

休職してみて、自分のこころがいちばん大切だなあとしみじみ感じる。自分に正直に。自分がどう思うか?を大切に。

 

 

素人なりにいくつか本を読んで、こころの健康というものは、からだ(自律神経系)の健康と密接に関係していると知った。

自律神経に良いことを行えばこころの調子も上がるぜ〜↑↑ってことね。

 

 

たとえば

・1日中家の中でダラダラと過ごすことが、休息にはならない

・悩み続けない、とりあえず決める

・ウォーキングは一定のリズムで行う

・朝と夜で聞く音楽を分ける

とかね。

 

 

あと、違う本で、

他者に気を使って自分の本心とは違う発言をしていると、積み重なっていくうちにどんどん自分を信じられなくなっていって病みにつながる、というのを読んで、全く自分と同じだなあと思ったなあ。

それも改めたほうが、生きやすいよね。

 

 

病まないために、どうすれば自分が生きやすいかを考えていく。

 

 

みなさんも、自分はじぶんがみている世界しかわからないので、それを信じて、ぼちぼちで大丈夫ですのでね。

ごゆるりと。

 

悩みは尽きぬ

お題「はてなブログをはじめたきっかけ」

 

本日はてなブログをはじめました。

 

きっかけ…なんでしょうね。。

就職をして2年が経ち、こころの風邪ひきさん(←言い方かわいい)になってしまったことが、少なからず関わっていると思います。

 

今の職場を続けていくことへの違和感が強くなっていく中、いろいろと模索していくうちに、文字を書くことに興味を持ち始めたんですよね。

 

自分の好きなことを仕事にするって、どうなんだろう?

新卒から事務職をしておりますが(現在休職中)、手に職をつけたい思いは心の奥にいつもあり、

いっぽうで、安定性(収入など)を求める自分もいて…

とても悩みます…

 

悩んでいる暇なんて、おそらくないんでしょうけどね。